​棟方志功

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日本の板画家。20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人である棟方志功。木版の特徴を生かした作品を一貫して作り続けた。どの作品も高額で取引される傾向にあります。

棟方 志功(Munakata Shiko)

昭和27年4月、スイスのルガーノで開かれた第2回国際版画展で優秀賞を受賞し、同30年7月、サンパウロ・ビエンナーレに「二菩薩釈迦十大弟子」などを出品し、版画部門の最高賞を受賞しました。又、翌31年6月、ベニス・ビエンナーレに「柳緑花紅頌」などを出品し、国際版画大賞を受賞し、世界の棟方としての地歩を築きました。同34年には外遊し、アメリカの諸都市の大学で講演をしたり、ヨーロッパにも行ってゴッホの墓を訪ねたりしました。棟方の郷土を愛する心は人一倍強く、凧絵やねぶたは勿論のこと、風物に対しても大変心をよせていました。また青森市の合浦公園には、少年達を励ますために「清く高く美事に希望の大世界を進み抜く」という言葉を刻んだ記念の石碑が建てられています。青森市では、昭和44年2月17日、青森市名誉市民第1号の称号を贈りました。同45年11月には青森県人としてはじめて文化勲章を受章しました。昭和50年9月13日東京都において72年の生がいを閉じました。お墓は、青森市三内霊園にゴッホの墓と同じ形につくられ、静眠碑(「ひ」という漢字を棟方は、石へんから玉へんに変えて命名しています)と名づけられています。棟方は、版画のほかに、油絵、倭画、書、詩歌などに多くの傑作を残していますし、著書類も多く、「棟方志功板画大柵」「板極道」「わだばゴッホになる」など数十冊にのぼっています。(注)棟方は昭和17年頃の作品から「木版画」を「板画」という字で表現しました。

棟方 志功

(むなかた しこう)略歴

<1903年>

 青森市に生まれる。

<1928年>

 第8回日本創作版画協会展、第6回春陽会展に版画が入選、又第9回帝展に油絵初入選。この頃から版画へと興味を移し、本格的な木版画制作を始めた。

<1931年>

 油絵と版画による最初の個展を開催

<1932年>

 日本版画協会会員となる.。

<1936年>

 柳宗悦、河井寛次郎らと民芸運動の人々と知り合う。 これは以降の棟方芸術に多大な影響を及ぼす。

<1937年>

 国画会同人となる。

<1938年>

 第2回新文展で特選

<1941年>

 第5回佐分賞受賞

<1952年>

 第2回ルガノ〈白と黒〉国際展で受賞、日本版画協会を脱会し、日本版院を結成

<1955年>

 第3回サンパウロ・ビエンナーレで受賞

<1956年>

 第28回ヴェネチィア・ビエンネーレで国際版画大賞受賞

<1960年>

 アメリカ各地で個展を開催

<1970年>

文化勲章受賞

<1975年>

 死去

 ゴッホをめざして独学で油絵を学ぶ。その後版画と出会い、自ら「板画(はんが)」と命名し、木版による独自の表現をつくり上げた。
1955(昭和30)年以降、サンパウロやヴェネツィア・ビエンナーレなど数々の国際舞台で版画賞を受賞し、「世界のムナカタ」として活躍した。

◆棟方志功が板画について残した言葉◆
「愛シテモ、アイシキレナイ。驚イテモ、オドロキキレナイ。歓ンデモ、ヨロコビキレナイ。悲シンデモ、カナシミキレナイ。ソレガ板画デス。」